【書評】ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治
自分では立ち読み程度でしか読んでないので偉そうには語れませんが、武田鉄矢さんのPodcastで紹介されていて、内容が興味深かったのでご紹介。
突然ですが、皆さんに1つご質問です。
手元に、ホールのケーキが一つあります。これを三等分してみてください。
おそらく、こう言われたら多くの人は360度割る3=120度で、イチョウの葉っぱのような形で(完全に等分にはならないにしても)切るのではないでしょうか。
一方、強姦や殺人等を犯してしまった非行少年たちに同じような質問をするとどうなるでしょう。その形が、本書の帯に書いております。
ある例は、真ん中でぶった切り、その右側そさらに半分にしていたり、もう一例だと、横に3つに切っていたり・・。そもそも等分ということが理解できていないような印象を受けます。
著者の宮口さんはこういった点に問題意識を持ち、色々と調査を進めていきます。
驚くべきことに、殺人を犯した少年に、「自分のことをどう思う?」と聞くと、「優しい人間だと思う」と冗談抜きで答えたり、心を開いてくると「もう一回人を殺してみたい」と悪びれずに答える。
これと冒頭のケーキのテストを統合すると(他にも色々と例は挙げられてますが)、そもそもの認知機能に障害があるのではないか、そして、それは脳機能の障害なのではないかというのが宮口さんの主張です。実際、非行少年の脳を開くと脳の認知機能を司る場所に腫瘍があったりするそうな。
となると、社会常識のルールから逸脱した行為である強姦・殺人という行為に関し、そもそも悪い行動を制御するシステムがない人間に対して、罪を問うか否かという問題になってくる。
宮口さんは「目に見えない障害」という言葉でこれを表現しています。パラリンピックで四肢に障害がある人は、一目で認知してもらい、努力・活躍のしようによっては、スポットライトを当ててもらえる人物にもなりうる。その一方で、脳の常識や認知的機能に障害を持ってしまった「障害者」は、世間から白い目で見られて葬り去られる。
もちろん、悪いことをした少年少女全員を「彼・彼女らは脳の病気なのだ、だから罪に問うべきではない!」という主張ではなく、「脳機能障害」という面からのアプローチが必要ではないか、ということがまとめられています。
このような主張に関しては、脳に障害があろうがなかろうが、起こした行為は変わらないのだったら罪に問うべき、という意見もあるでしょう。犯罪者の精神鑑定と似たようなものでしょうか。
そんな放送を聴きながら思ったのが、例の高速道路で車を止めて運転手に殴りかかったというあの事件。
すべからくではないのでしょうが、彼を「一般人」という視点で見ること自体、もしかしたら間違っているのかもしれない気もしています。あそこまでいくと、「病気」なんでは、と。
ニュースなどの解説を見るていますと、高学歴なのになぜ、といった話や幼少期に虐待をとかいじめを〜なんて話をセットにして放送されることも多々ですが、新たな切り口として、認知・脳の障害なのでは?というのも、もしかしたら今後整理していく必要があるのかもしれません。
そういう切り口を提示してくれたという観点で、非常に示唆に富む本でございました。
購入してちゃんと読もうと画策中でございます。
それでは。