ずんのブログ

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【書評】遺体 震災、津波の果てに/石井光太

震災(津波)の被害が最も大きかった地域の一つ、岩手県釜石市で、被災者の遺体と携わった様々な方達を追ったルポルタージュ

自分の仙台にある実家も地震の揺れにより被災(屋根瓦が落ちたり)しましたが、シヌの生きるのというような地域ではありませんでした。そんな中でも、電気が止まったり、水道が止まったり様々な苦労がありました。

酷さの程度を比べたところで何か生まれる訳ではありませんが、本書を読んで、当時の思いや体験を振り返るとともに、なんとかして災害でいろんな経験をした人の話を風化させてはいけないと改めて思いました。

ニュースで見ると、死者何名、行方不明者何名とただの数字になってしまいますが、その「1」という数字には、その人を取り巻く様々なドラマ・思いがあること、そして人々はつながりの中で生きているんだな、と改めて思い出せる、そんな本です。 

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

 

 

特に心に残った人を2名ほど。

一人目は、遺体の安置所で運営に携わっていた千葉さんという方。60歳を超えもう引退しており、かつ自分も被災者なので避難所で過ごすこともできたのに、催事場で働いていた経験から、自ら遺体安置所の運営責任者になることを直談判に行きます。

彼の行動の中で特に印象的なのは、遺体の1人一人の名前を覚え、毎日喋りかけていること。はたから見れば、「もの」に喋りかけるのと同じで無意味な行為なのかもしれません。でも、そこまで遺体のことを思いやれることから、身元確認に来た人に対しても「辛かったけど、お母さんがやっと迎えに来てくれたよ。安心して帰れるね。」のように優しい言葉をかけてあげられる。身近な人を亡くして、自分を責めている人も沢山いた中、彼の一言で救われた人、気持ちが少しでも楽になった人は少なくなかったのではないかと思います。

二人目は仙寿院の住職、芝崎さんの娘さん。上京して働いていたものの、精神的にボロボロになり実家に戻ってきていたところ、被災。院は避難所の1つとなったことから、自動的に運営する側、の立場になってしまいます。自分もボロボロなのに、なんで人の世話しなきゃなんないのよ!と思いきや、誰よりも周りの人を献身的に手助けし、元気づけていたそう。人って、環境で変わることを再認識したエピソードでした。

 

今も千葉県の台風被害で苦しんでいる方もいます。南海トラフ地震の発生も警鐘が鳴らされています。災害がなくなることはありません。でも、私たちは過去の悲惨な経験を生かし、少しずつでの何か改善していけるはずですよね。